Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種~ [マタイ 16:5-12]

今日の箇所はエレン・G・ホワイトの証の文(各時代の希望 第44章 真のしるし)に非常に詳しくその状況と教えが記されているので、以下を瞑想する時間としたいと思います。

「イエスは「心の中で深く嘆息して」あら探しをする人々の群れから離れ、弟子たちとふたたび舟に乗られた(マルコ8:12)。悲しい沈黙のうちに、彼らはもう1度湖を渡った。しかし彼らは、さきに出たところへは戻らず15000人が養われた場所の近くのベッサイダに舟を向けた。向こう岸に着くと、イエスは、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」と言われた(マタイ16:6)。ユダヤ人は、モーセの時代以来、過越節の期間には家の中からパン種を除く習慣があった。こうして彼らはパン種を罪の型とみなすことを教えられていた。しかし弟子たちは、イエスのことばを理解しなかった。彼らはマグダラを急に出発したので、パンを持参することを忘れ、持っていたパンは一つしかなかった。彼らはキリストがこうした事情のことを言われ、パリサイ人やサドカイ人のパンを買わないようにと注意しておられるのだと思った。彼らは信仰と霊的な洞察力に欠けていたので、イエスのみことばをこんなふうに誤解することがよくあった。そこでイエスは、少しの魚とパンとで数千人に食べさせたご自分がこの厳粛な警告の中で一時の食物だけのことを言ったように彼らが考えたことをおしかりになった。パリサイ人とサドカイ人のずるい論議によって、弟子たちの中に不信の種がまかれ、彼らがキリストのみわざを軽んずるようになる危険があったのである。」

 

パリサイ人とサドカイ人を通して発せられるサタンからの欺瞞に満ちたメッセージの本質を見抜けないと、パンに混ぜられたパン種のように、本人も気づかないうちにそれがどんどん膨れ上がり、その人の心と品性をそれですべて満たしてしまう、という恐ろしい現象をもたらします。イエス様はそのことを弟子たちに強く、強く警戒されました。

今日の箇所からも、常にみ言葉で日々自分の心を映し出し、確認し、悪いパン種が紛れていないか、それにより神の福音のメッセージを過少評価したり、少しの誤謬を伴った形で受け止めていないか?を祈りつつチェックしていただくことが必須であるということを改めて学ばされました。