Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~人々はしるしを欲しがる~ [マタイ 16:1-4]

今日の箇所は、以前同じマタイ12章でもイエス様がヨナのしるしの話をされましたが、今回もほぼ同じ話をされます。前回もファリサイ派の人々に対してこの話を言及されましたが今回も言う相手は同様です。しかし、2回目ということで、イエス様は彼らに激しい叱責を加えられました。

4000人の奇跡の給食を行った後、ファリサイ派サドカイ派がイエスのもとに来た、とあります。普段はこの2派は宗教的教理の違いで対立していたはずです。でも、イエスに対して激しい反発の精神を持つとき、その2者は逆に協力して友好関係を築き、イエスに反対するため共に固く同盟を結び、立ちあがるのです。この構造はこの終末時代にかけても今後顕著に見られていくものだと言われています。イエスを主と信じる者たち vs. この世、自分を主とする者たち との激しい霊的対立です。

これだけの奇跡を何度も目の当たりにしたにも関わらず、まだ「天からのしるしを見せてほしい」、彼らは何度も敵意をもってイエスを試すのです。

それでもイエス様は彼らを無視するのではなく、まず彼らを諭すように、教えられたのです。「夕焼けなら明日は晴れ、朝焼けで雲が低いなら今日は嵐、など空模様を見分けることを知っているのにどうして時代のしるしを見分けられないのか?」しかし、次には彼らのことを「よこしまで神に背いた時代のものたち」と激しく叱責されたのです。このヨナのしるしについては、前回イエス様は彼らに説明されたはずです。しかし彼らはまた同じ質問をし、また同じ答えが返されたということです。

激しい叱責を受け、自分を完全否定され、彼らの腹は怒りで煮えくり返っていたことでしょう。「イエスを殺したい」と思うほどです。この反応は自分を主としている人が示す反応だといわれています。

こうなってしまっては、イエス様の言われた本当の意味、内省の思い、悔い改めの心を与えられることは難しいのです。この思いは、聖霊様の働きだからです。怒りをもった精神には聖霊様は働く余地がありません。ですから、自分を捨て、屈服し、速やかに、今日イエスを主とする決断をしなければなりません。イエス様はそのようなこともすべておわかりでした。それでも彼らにも同情し憐みの心も持っておられたのです。今日も自分の心をただ主に向け、自分の中に住んでいる怒りや憤り、苛立ちの性質が取り除かれることを祈り求めます。