Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

山上の説教 – 「義のために迫害される人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:10-11] 

時がたつのは早いものでもう9月も終わり、10月から第四四半期でもう年末のことを考える時期がやってきます。 今日は「義について迫害される」ことが「幸い」であるという非常に驚くべき聖句です。私たちが世からイエス様のために迫害を受ける時、喜びなさい…

山上の説教 – 「平和を実現する人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:9]

以前、土曜の保護者の集いで校長先生が「平和を創りだすこども」というタイトルでお話をしてくださいました。その時は、「平和」も、その対極の「暴力」も、親や周りから教えられるものだということを知り、改めて私も親としての責任を感じずにはいられませ…

山上の説教 – 「心の清い人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:8]

「心の清い人」と聞くと、このような聖句を思い浮かべてしまいました。「次のように書いてある、義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。(ローマ3:11-12)」神様から見て、もともと罪を犯しやすい性質をもつ、弱い私た…

山上の説教 – 「憐れみ深い人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:7] 

本日は「憐れみ深い人々」です。「あわれみ」は「哀れみ」「憐れみ」の2つの漢字があります。「哀れみ」はただ相手を気の毒に思い、心を痛めること、一方「憐れみ」は相手を気の毒に思い何か行動すること。「憐れみ」には行動が伴うようです。英語では「mer…

山上の説教 - 「義に飢え乾く人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:6] 

今まで一つ一つの山上の説教の冒頭の八福の教えについて考えてきました。今日は「義に飢え乾く人」についてです。義は、イエス様、神様の義ということだと思います。義は英語だと分かりやすいのですが'Righteousness'で、神様から見て正しいこと、です。すな…

山上の説教 - 「柔和な人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:5]

今日の聖句は柔和な人々についてです。「柔和」な人とは、どんな人でしょうか?心が柔らかく、様々な考えに対する受容性が高く、そして和を大切にする、すなわち人との関係を平和に保つ人のこと、といったようなことをこの言葉から連想します。このような「…

山上の説教 - 「悲しむ人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:4]

次にイエス様は「悲しむ人々は幸いである。」とおっしゃいました。これは何について悲しむ事なのだろう・・?世で次々と起こる困難や試練に対して?またはそれらが起こる結果について?と疑問に思ってきました。しかし、ホワイト夫人の証の文※にははっきりと…