Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

山上の説教 - 「悲しむ人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:4]

次にイエス様は「悲しむ人々は幸いである。」とおっしゃいました。これは何について悲しむ事なのだろう・・?世で次々と起こる困難や試練に対して?またはそれらが起こる結果について?と疑問に思ってきました。しかし、ホワイト夫人の証の文にははっきりと「罪について悲しむ」とありました。罪について本当に悲しむ事が出来るのは、聖霊の働きの結果です。「罪を犯すたびに、イエス様の胸に槍を刺しているのだ」と教えてくださった牧師さんがいます。私たちクリスチャンは「これ以上イエス様を苦しめたくない・・!」と砕けた心で十字架に向かい、イエス様の上に新たに加えられた刺し傷を見ることで心から罪を憎み、悲しむ心が育っていきます。そしてだんだんと罪から解放されてゆくのです。この悲しみを神様はなんと最終的に「さんびの衣」という喜びに変えてくださいます(イザヤ61:3)。悲しむ人々は、慰められるのです。このことが幸いなのです。

また、私たちはこの世で試練や叱責に合う時、激しい苦しみや悲しみを経験します。そんな時、心の中に思い煩いの思いが沸々と出てきて止まらない瞬間があります。しかし、ホワイト夫人によると、そのような時こそ、その場で魂もそのような思いも「神の前にすべてへりくだらせる」ようにとあります。この天からの瞬時の助けが必要です。それが出来ると不思議な神様にあっての平安が得られ、重荷が次第に消えていきます。これが幸いです。この事の繰り返しで私たちの品性は日々練られていき、鍛錬されていくのだと思います。

 

今日も弟子訓練のために必要な光をイエス様が与えてくださった事に感謝します。

 

※ エレン・G・ホワイト 各時代の希望(中巻)P12-14