山上の説教は弟子たちに与えられるものだったそうですが、それは群衆の聞いているところで語られました。もともと海辺を想定されていましたがおびただしい群衆が各地方から集まってきたので彼らにも場所を確保できるようイエス様は山の中腹に登って来られたのです。
群衆は間もなく御国が建設され、弾圧的なローマからの解放や現在の貧困から解放されるような言葉をイエス様が語ってくださることを熱く期待していました。 しかし「キリストは世俗的な偉大さへの望みをくじかれた」※1とあります。
イエス様は人類の犯してきた罪の恐ろしさとその悲惨な結果について示すのではなく、彼らに祝福の言葉を語られました。御国と神様のご品性について正しい考えを群衆に与えようとされました。「彼らが知っていたものよりももっと無限に優れた何ものか」※1をお示しになったのです。
説教はまず「心の貧しい人々は幸いである。」から始まりました。貧しいこと=幸いという、驚くべき逆説的な言葉です。心の貧しい状態とは自分の霊的不足を認め、神の力を必死で懇願する状態だと思います。この自身の不足を認めることではじめて神に近づき、聖霊により神の力を受けることができるというお約束だと思います。もし自分の中にプライドがあれば、自分が貧しいものであると決して認めることができず、結果神により頼むことが少なくなるかもしれません。プライドとは本当に恐ろしいものです。
今日もイエス様から霊的な目薬を頂き、自分の貧しさを認識できるよう、まずは祈っていきたいと思いました。
※1 エレン・G・ホワイト 各時代の希望(中巻)P10