Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

律法について  [マタイ: 5:17-20]

今日は律法についてです。この律法とは、神様の掟、モーセに与えられた十戒のことです。十戒のはじめの4条はどのようにして私たちが神を愛することが出来るか、後半の5~10条はどのようにして人を愛することができるかが書かれたものです。これを心に刻み、守ることで、人間は神様とともに祝福の道を歩むことができます。十戒は神様のご品性をあらわす書であり、愛そのものです。また、預言者は各時代を通して神様から、あるいはみ使いから言葉を託されたメッセンジャーです。どちらも出所は天の父です。よって今日のみ言葉にあるように「律法と預言者(のことば)は一点一画も消え失せることがありません。」全くその通りです。神様だけが永遠に変わらない、真実なお方です。

エス様が「わたしが(この世に)来たのは、律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない」とあえておっしゃった背景には、当時の律法学者やファリサイ派の人たちの教えや行いがあまりにも律法的、儀式的、偽善的になっており、民衆は十戒をはじめとする神様からのメッセージを素直な心で、正しく受け止められなくなっている危機に瀕していたからなのではないか、思います。一方、ファリサイ人たちにとっては、「イエス様の説教は異端のように聞こえた」とあります※。その彼らの心(彼らの律法をイエス様が廃止されようとしている)をイエス様は見抜かれ、あえて真の律法の意味は?神の義とは?またその重要性を強調されることによって、彼らを非難されました。

また続けてイエス様は「私は律法を完成させるためにきた」とおっしゃいました。この言葉から、十戒や神様のメッセージは当時のユダヤ人に与えられた特権であり、それを周辺の異邦人に伝えていく使命があるという点、すなわち神の民としてのアイデンティティーを彼らに再確認させようとされたのではないかと思います。

エス様のメッセージはいつも問題そのものを指摘する方法ではなく、まず問題を自ら悟らせ、正しく導くため非常に鮮明に真理やあるべき姿を愛とともにお伝えくださいます。その言葉には力があり、不思議と人の心に変化を起こさせます。私もイエス様のようにDoing(自分や他人の行いそのもの)ばかりに注目しそれを判断したりするのではなく、Being(その人の存在や思い)を大切にできる人になりたいです。

 

最後にエス様が与えてくださる義について、ホワイト夫人の引用があり、改めてその意味をしっかり吟味したいと思います。

 

キリストがお教えになった義とは、心と生活とを神のみこころのあらわれに一致させることである。罪深い人間は、神への信仰を持ち、神と生きた関係を持続することによってのみ義となることができる。そのとき真の信心によって思想が高められ、生活は高潔なものとなる。その時、宗教の外面的な形式が、クリスチャンの内面的な純潔と一致する。その時、神の奉仕に要求されている儀式は、偽善的なパリサイ人の儀式のような無意味なものとならない。

 

※エレン・G・ホワイト 各時代の希望(中巻)P28