Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

山上の説教 - 「義に飢え乾く人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:6] 

今まで一つ一つの山上の説教の冒頭の八福の教えについて考えてきました。今日は「義に飢え乾く人」についてです。義は、エス様、神様の義ということだと思います。義は英語だと分かりやすいのですが'Righteousness'で、神様から見て正しいこと、です。すなわち義に飢え乾くとは、聖書の中の真理を知りたいと願い、知ったときそれに深く感動を覚え、またさらに知りたい、また知ったことを行えるようになりたい、最終的にはイエス様のようになりたいと願う、その連続の心と魂の思いの動きのことかと思います。エス様の真理を知りたい、と飢え乾く。
一つ思った事は、八福の順番について、義認と聖化のプロセスの中でこの八福の順番どおりに起こるのだろうか?という疑問です。私はまだまだ罪について深く悲しんだり出来ていないですし、モーセの柔和さ・従順さからはほど遠いですが、クリスチャンになってからこのイエス様の真理を知りたい、という義を求める強い思いは今も絶えることなく与えられています。このことは本当に祝福であります。まだまた神様の求めておられるレベルで飢え乾いていませんが、一つ一つの八福についてそれぞれに、確実にイエス様がその深みに一緒に連れて行ってくださるよう、願うばかりです。
 
最後にホワイト夫人の励ましの言葉です。
 
もし目をキリストにそそいでいるなら、みたまの働きは、その魂が神のみかたちに一致するまでやまない。純粋な愛の要素が魂を拡大し、もっと高い教養と天の事物についてのもっと多くの知識を受け入れる余地を与えるので、その魂は、完全に達するまでは満足しない。
 
※エレン・G・ホワイト 各時代の希望(中巻)P16