Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

山上の説教 – 「憐れみ深い人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:7] 

本日は「憐れみ深い人々」です。「あわれみ」は「哀れみ」「憐れみ」の2つの漢字があります。「哀れみ」はただ相手を気の毒に思い、心を痛めること、一方「憐れみ」は相手を気の毒に思い何か行動すること。「憐れみ」には行動が伴うようです。英語では「mercy」で慈悲深い心、寛大さ、優しい心根などの意味かと思います。まさしく神様のご品性を表しているような言葉です。様々な状況下で困っている人に対して、昔からいろいろなボランティアやNPO活動が熱心にされてきました。人間の持つ美しい品性および活動の1つだと思います。たとえイエス様のことを知らない人々でも、そのmercyから来る動機によって行動されていることを見るにつけ、私たちはもともと神様のご品性に似せて創られたことを改めて実感します。

エス様はこの世で受肉され、人間として私たちと同じ試練や苦しみを経験し、そのご経験により私たちを今も深く憐れんでくださっています(へブル4:15)。神様の持っておられるMercyは宇宙レベルの広大なものだと思います。では神様は私たちに対して何を憐れんでくださっているのでしょうか?病気や貧困、戦火での恐怖、テロ、人間関係…、実にこの世の終わりの時代には、様々な不幸な事が連日起きています。もちろんこれら全てに神様は胸を痛めておられます。しかし神様が非常に悲しまれているのは、これは罪の根本とも言えるかもしれませんが、私たちがアダムの頃からずっと持っている、「神様に対する歪んだ像(イメージ)」についてではないか?と思う今日この頃です。歪んだイメージにより神様を時に100%信じられず、その結果あらゆる不幸で悲惨な罪を生み出しているのかも知れません。

私たちクリスチャンはこの歪んだイメージ、不信仰によってもたらされていた苦しみの最中に神様と出会い、知り、歪んだイメージを聖書によって真っすぐに矯正され、そのMercyによって憐れみを受けます。そして最終的には罪から完全に解放されるものとして、まだ神様を知らず苦しんでいる方々に、私たちが日々経験しているイエス様のMercyをもって接し、イエス様を証することが出来ます。

エス様に私が初めてお会いした時に差し伸べてくださったMercyを思い起こし、感謝し、自分の中にもそれが根付いていくように今日も祈りたいと思います。

 

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。(へブル4:15)