Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

山上の説教 – 「平和を実現する人々は、幸いである。」  [マタイ: 5:9]

以前、土曜の保護者の集いで校長先生が「平和を創りだすこども」というタイトルでお話をしてくださいました。その時は、「平和」も、その対極の「暴力」も、親や周りから教えられるものだということを知り、改めて私も親としての責任を感じずにはいられませんでした。三育小学校はこの「平和」を創り出すこども(Peacemakers)を世の中に送り出す使命を持っているともおっしゃっていました。非常に明瞭で厳粛なミッションだと思います。

今日のみことばについては、ホワイト夫人の証の文があまりにも素晴らしかったのでそのまま引用し、今日はその瞑想の時間を持ちたいと思います。

 

キリストの平和は、真理から生まれる。それは神との調和である。世は神の律法に敵意をいだき、罪人たちは創造主に敵意をいだき、その結果、彼らは互に敵意をいだいている。だが詩篇記者は、「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、何ものも彼らをつまずかすことはできません」と断言している(詩篇119:165)。人間は平和を製造することができない。個人や社会をきよめ、向上させる人間の計画は、人の心をとらえないので、平和を生み出さない。真の平和をつくり出したり、永続させたりできる唯一の力は、キリストの恵みである。これが心にうえつけられる時に、それは争いや不和をひき起す悪い欲望を追い出す、「いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える、」こうして人生の砂漠は、「喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲」くのである(イザヤ55:13、35:1、2)。

 

※エレン・G・ホワイト 各時代の希望(中巻)P17-18