Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~ベルゼブル論争~ [マタイ 12:22-32] (ゼルベブルはサタンの別称、俗称)

この10月から昨日まで、全国各地での秋の学会が毎週のように続き、前回のブログからおよそ2か月も間が空いてしまいました。それでも、またこのように朝のデボーションを再開できることを神に感謝します。

さて、今日の箇所は非常に重要で、厳粛な箇所になります。本当にたくさんの情報があるので、1つ1つ見ていきたいと思います



今日の場面は「そのとき」から始まります。イエス様がイザヤの預言を話されていたちょうどその渦中、悪霊にとりつかれ目も見えず、口のきけない人が連れてこられました。イエス様は即座にその人を目が見え、口がきけるように癒されました。それを見た群衆はますます確信をもって「この人はダビデの子ではないだろうか=メシア=神」と言わずにはいられませんでした。

そんな状況の中、ファリサイ派の人々はなんとイエスは「悪霊の力でその悪霊を追い出した」と断言しはじめたのです。

ユダヤの教師である彼らがメシアであるイエスの言葉を悟らず、拒否することはその前に記された旧約のゼカリヤ書(悪い羊飼い)にも書かれている通りです。その預言がここでリアルにも成就されています。

ここで、エス様は彼らへの厳粛な警告と戒めをお始めになりました。

じっくり聞いてみたいと思います。

 

その1:サタンがサタンを追い出せは、それは内輪もめである。そんなことをしたら、どうしてその国が成り立っていくだろうか?

→非常に説得力があります。確かにそうです。味方は味方の力を増し加え、強化することで栄えていくのです。それは天の国でもサタンの国でも、またこの地上のどんな組織でも同じ事です。ですので、悪霊を追い出したのはそれと敵対する力=神の力であることをイエスは明確に証明されました。また、今ここで神の力が悪霊を追い出したのだとすれば、それはもう神の国がもう来ている、という証明にもなることも示唆されました。

 

その2:強い人(主人など)を縛り上げてはじめてその人の家に入って家財道具を奪い取ることができる。

→おや?と思ったのですが、ここでは縛り上げられている人のほうがサタンの勢力として譬えられているようです。ここでイエス様が伝えたかった事は、それだけサタンの力は強烈で強固であるという点かと思います。ファリサイ派たちはサタンの力の恐ろしさと力(善と悪の大闘争、宇宙戦争の構図)をそこまで自覚出来ていなかったのかもしれません。

 

そして、ここで有名な厳粛な戒めがはじまります。

その3:人が犯す罪や冒涜、人の子(イエス)に言い逆らう事はどんなものでも(悔い改めによって)赦される。しかし、霊に対する冒涜、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。

→非常に厳しい警告となります。イエス様を受け入れることは霊的な事である、とも言われています。ユダヤ人、ギリシア人、日本人、キリスト信者になった者を問わず、聖霊様が例外なくこの世に生まれた1人1人の霊にエデンの時代から働きかけておられることは、疑う余地がありません。その働きの目的は、神との人間の関係性を回復するためです。特に神の霊は、人生の深い谷底にいる時、その人に強く働きかけられます。究極的には、その暗闇の中でその時見えたわずかな救いの光をひれ伏して受け入れるか、それを拒む(最後には自分の力やプライドに頼る)か、の話となります。

絶望の中で見たその光、すなわち霊的な働きかけを拒むことが霊の冒涜、逆らいとみなされるのです。このことは本当に、この事実を知っている私たちが世の人々に切実に、愛をもって伝えていかなければならないことです。聖書にはっきりこのように宣言されているからです。

今日、ますます私たちの周りにいる家族・隣人の救霊のために祈り続ける必要性を感じました。このような場面がいつやってくるかわからないからです。

 

神のこの厳粛な言葉を頂けたことに今日も感謝します。