Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~受け入れる人の報い~ [マタイ 10:40-42]

今まで、イエス様は他の町に行き身一つではじめて宣教の経験をする12人の弟子に厳粛なオリエンテーションをされてきましたが、今日はその最後の箇所になります。

エス様のオリエンテーションでは、まず伝道の仕方が語られました。
まずはじめに、「神の国は近づいた」と宣言しなさい。と。
まず、伝道の目的を人々に提示しなさい、と言われました。

次に、伝道時の持ち物や伝道といやしの際の弟子たちの行動指針について。

次に、弟子たちに対する迫害がおこることを、あらかじめ予告。
あらかじめリスクを伝えることで弟子たちに心の覚悟を備えられました。
また、迫害に遭うときは、必ず父の霊、すなわち聖霊が彼らに与えられることをここで約束されました。

また、「本当に恐れるべきものは何なのか?」あらためて弟子たちに問いかけられました。
「人々ではなく、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」

そしてどれだけ弟子たちが天の父に愛され守られるかも伝え、熱心な励ましがありました。
「一羽の雀を見なさい。あなたがたの髪の毛までも、一本残らず数えられている。」

さらに、イエスの仲間であることを堂々と、勇気をもって言い表す必要性も示されました。
ペテロが3度、「イエス様のことを知らない」といった情景が皆さんも思い浮かぶと思います。

また、イエス様は「この地上に平和でなく、剣をもたらすために来た」驚くべきことも断言されました。
それだけこの世は悪の勢力にすっかり支配されおり、イエスの語られる真理の言葉が極めて世の人々の心に受け入れ難い事実を示されました。

さらに、「命を得たいものは、世や友人、家族との対立や迫害に対する十字架を背負って私についてきなさい。」の言葉。
はじめて「十字架」という言葉を使って、弟子たちがこれから払う犠牲に対する覚悟とはどんなものかを、ご説明されたのです。

さて、今日の箇所です。

オリエンテーションの最後のしめくくりは、自分の十字架を背負い、イエスへの信仰を貫いた人への報いです。
そのような人は「神に受け入れられる」と書いてあります。
神から、「義」であると認められるということだと思います。
そして、弟子たちだけでなく、義である弟子を受け入れた人は、同時にその報いを必ず受ける、と書いてあります。
弟子たちに冷たい水1杯でも飲ませてくれる人は、イエスを受け入れ、ついては天の父に受け入れられる、とあります。

今日の箇所を読んで、イエス様、天の父に義とされるという事実に改めて励まされたと同時に、大変身の引き締まる思いを感じずにはいられませんでした。

世の人々が義とされるためには、私たち弟子がまず義とされ、また世の人に受け入れられるような真理を語り続けなければならないのだ、と。
ただイエスのみ言葉のみに立脚した生き方を示さねばならないのだ、と。

そうでないと、世の人々はイエスの弟子たち、クリスチャンを受け入れません。

そして、私ははたして今そうした生き方をしているのだろうか?と。

確かに、イエス様に通じる道は、狭い門で、らくだを針の穴に通すようなものだ、と言われています。
しかし、それでも真理を求め、飢え渇き、変わりたい、と思っている人が必ずいるのです。
その方々に会った時に、私自身が備えられるよう、日々み言葉を瞑想したいと思います。

特に、今まで読んできたマタイ10章は改めてイエス様の伝道の目的、方法、励まし、善と悪の大争闘に対する備えと覚悟、神の愛、ゴールを俯瞰的に教えていただいた気がします。

この恵みは本当に何事にも代えがたいものです。
胸が熱くなります。
これからも、毎朝デボーションを続け、イエス様の言葉に生かされていく者となっていくことを願いたいです。
そして、そのような者として生きることを「願う心」を、豊かに与えてください、と願いたいです。