Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~わたしのもとに来なさい~ [マタイ 11:25-29]

今日の箇所は、イエス様が悔い改めない町を悲しみ、嘆きの中で叱責した後にされた、天の父への切実な祈りになります。この祈りのあと、あの大変有名な聖書のみ言葉も語られます。

知床半島

まず、イエス様は天の父を褒めたたえる祈りから始めます。

次に、「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」と祈られました。

ここで、幼子のような者とは、弟子たちのことだと思います。ずっとイエス様は弟子たちにバプテスマのヨハネのことや悔い改めと裁きについて語られていたからです。また「これらのこと」とは、前述のイエス様が語られた事はもちろん、天の父とイエス様の愛のご品性、天の国について、神の威厳、救いの計画、弟子の覚悟・・・これらすべてを指すのではないかと思います。一言でいえば、エス様そのもの、です。

次に、天の父、イエス様、弟子たちの関係についても祈りの中で述べられます。

すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

この祈りの言葉により、私たちが全知全能の天の父を知るためには、子であるイエス様を知らなければ決して知ることは出来ない、ということが明らかに示されます。

そして、このタイミングで、次の有名な聖句が語られます。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

どうしてイエス様のもとに来なければならないかは前のお祈りで明らかです。イエス様だけが天の父に通じる道だからです。そして、その道を行く全ての疲れた者、罪の影響で苦しむものには「休み」が与えられる、という非常に尊い約束があります。

そして次に、以下のイエス様のみ言葉が続きます。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

私たちは通常、強くて、判断力があって、権力のあるエネルギッシュなリーダーについていきたいと願います。しかし、イエス様はその真逆の「柔和で謙遜なリーダーだからこそ」ついてきなさい、とおっしゃいます。

そしてその恩恵としては、イエス様と一緒にくびきを負って働くこと、学ぶことを通して与えられる、真の休みと安らぎです。

働くことを通して休みが得られる?ここでも世の中の考えとは全く逆の考えが提示されています。何もしないのではなく、イエス様とともに学び、働くことで罪からの重荷が解放され、自由になれる。良いほうを選んだマリアのように。

神と働くことには覚悟が必要です。イエス様がずっと語られておられるように、世からの激しい迫害があります。しかし、それを乗り越えた時にもたらされる何にも代えられない平安と安らぎ、喜びのほうを選びなさい、とイエス様は弟子たち、私たちにおっしゃいます。

これが、神様が私たちに与えたい、と切に願われている本当の安息なのだと改めて思います。

安息日礼拝は土曜日ですが、この神からの安息は毎日、日々の生活の歩みの中で受けたいと願います。

そのために、日々このイエス様との交わり・学びとしてのデボーションを続けていきたいと思います。