今日のタイトルは「イエス様の同情」となっています。
「イエスは町や村を残らず回って、福音を伝えながらありとあらゆる病気や思い煩いをいやされた」
この当時、このガリラヤ地域において本当に多くの患いがあったことが想像されます。
その群衆たちが飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれていたのを見てイエス様は深く憐れまれました。
その時に、まさにこの有名な聖句がイエス様の口からこぼれたのかもしれません。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。 (マタイ 11:28 )」
でも、同情だけされるイエス様ではありません。
「収穫(=癒され喜びの中で神に従う生き方をすること)は多いが働き手(=イエス様の手足となる働き手、弟子)が少ない。働き手を送ってくださるように、収穫の主(=天の父, Heavenly Father)に願いなさい。」
と言われました。
ここを読んで、働き手は自分から「イエス様の働きのために自分こそ!」と立候補することも大切ですが、イエス様は「まず天の父に願いなさい。そして父がその人を送ってくださる」と言うのです。ここに祈りの大切さがあるのだと思います。
クリスチャンは誰しも、働き手になりたいと思っていると思います。
でもその働き手は自分かもしれないし、他の人かもしれない。
全部父が手配してくださるのです。
自分がとてもやりたい気持ちがあっても、またその逆の場合でも、父が送った働き手に対し、クリスチャンはその意味を深く追求してはいけないのかもしれないです。
ただ感謝すればよいのです。
改めて今日の箇所を読んで思いました。
私たちにできることは、ただ収穫を願って、ただ父の御心がなるよう祈り、もしも自分が選ばれたら、感謝してその働きを忠実に実行することなんだと思います。
この世のやり方とはやっぱり違うようです。
あらためて神様の方法を教えてくださったことに感謝します。