今日から15章に入ります。今日はイエス様のするどいお言葉が沢山詰まった箇所です。
ファリサイ派の学者たちがわざわざ都エルサレムからガリラヤまでやってきて、イエスの弟子たちに難癖をつけるところから始まります。「あなたの弟子たちは、なぜ昔からの掟に従って食事をする前に手を洗わないのですか?」と。
イエス様はつかさず、ストレートにこう言われました。
「神の律法を守っていないのは、あなたたちのほうだ。神の律法を自分の都合の良いように解釈しそれを無にしている。イザヤの預言は見事に当っている、あなたたちこそ、偽善者、神をむなしくあがめている者たちだ。」
また彼らのことをこうも言われました。
「彼らは盲人の案内をする盲人だ。2人とも穴に落ちてしまう」
イエス様のたとえはなんと明確で興味深く、わかりやすいたとえでしょうか。しかし彼らは悔い改めるどころかますます心を頑なにします。「自分は間違いない、正しい」と思っている心がそうさせるのだと思います。
また、今日の箇所ではご自身の弟子たちのことについても、指摘がありました。
「あなたがたも、まだ悟らないのか・・・?」です。
イエス様の「口から入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚すのである」のたとえの意味がわからなかった弟子たちは、イエス様にこのたとえを説明してください、とお願いしたからです。イエス様の、弟子たちの悟り度に対する焦りの気持ちをここで少し垣間見ることができます。でもお優しい教師でもあるイエス様は彼らにわかりやすくご説明されます。
このたとえは「食事前に手を洗う、洗わない」の論争に対し、イエス様がその根本的な解答としてご提供くださったものです。
本来手を洗う目的は、感染症などからあくまで体を守るためです。また食べた後出てくるものは人を汚しません。しかしイエス様は病原菌より人を汚すものがあると言われます。体から出てくるものとして、腹からのものと口からのものとの2つを対比させることで、これをまた見事に分かりやすくご説明されました。そうです、口から出てくるもの(言葉)は心から造られているので、その根本が悪ければ自分をも、他人をも、時は死においやるほど汚し、傷つけることになります。ですから「神に背いた人の心から出る言葉が一番人間を汚す」が最終結論となります。
ヤコブの手紙にあるように、なんと自分の言葉(舌)を制するのが難しいことか、日々思います。自分でも驚くほど無意識に不満、不平が独り言やつぶやきとしてこぼれてしまうことがあります。
でもそんな時こそ、この聖書に書かれていること、イエス様のおっしゃっていることは真実であることを悟る瞬間でもあります。
これからも何よりも自分の心を聖霊様で満たし、守っていただけるようにと改めて強く思わされた箇所でした。イエス様のたとえに感謝いたします。