Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~カナンの女の信仰①~ [マタイ 15:21-28]

今日は地元の町からイエス様一行がティルス・シドン(カナン地方)の町まで赴かれたという話です。

カナンの地(イメージ)

ティルス・シドンは今のレバノンにあり、ガリラヤ地方からは約60kmも離れている町です。今日からの箇所ではカナンの女が出てきますが、聖書ではカナン人のことは下記のように定義され、イスラエル人とは昔から聖別されていました。

 

ウィキペディアより~

カナン人とは、広義ではノアの孫カナンから生じた民を指している。「創世記」10章15-18節では、長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人の11の氏族を総称して「カナン人の諸氏族」と呼んでいる。イスラエル人とは区別されている。”

“神はアブラハムに対し、彼の子孫にカナンの地を所有させると約束しており、これの障害となる原住民のカナン人は排除(聖絶)すべき存在として記述されている。”

 

ではどうしてイエス様はこのカナンの地にわざわざ弟子たちと赴かれたのでしょうか?

弟子たちもその理由がさっぱり分からなかったかもしれません。イエス様はユダヤ人を救うために来られたのにどうしてその救いから外れているはずの異邦人にあえて遠方から向かわれるのか?

それは、イエス様が育った地元であるイスラエルの家(神の民)よりも、異邦人の土地で収穫を待っている魂の存在があることをイエス様が察知されていたからだと私は思います。またそのような本物の信仰を持っている魂がイスラエルの家の外にあることを、弟子たちに実物教訓として示すためだったのかと思っています。

これほどまでに熱意をもって、具体的に体を動かし、魂の救いのために弟子たちに行動として教えてくださる、また既成概念を真っ向から打ち砕くイエス様の真剣さと愛に感動します。この精神・姿勢こそが自己犠牲なのだとあらためて学びます。

この続きはまた次回にしたいと思います。

神様、今日のイエス様のように実際に体を動かし、行動を伴う信仰を与えてください。頭ではわかっていなくても、行動したことではじめて主が教えてくださいます。行動についてその理由がわからないときでも、主に告げられた通りに信じて動く信仰を与えてください。