Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~人々はしるしを欲しがる~ [マタイ 12:38-42]

今日の箇所も、前回の流れからの続きで、イエス様がファリサイ派に対して叱責されているところの続きになります。

今日の箇所は私にとって難しく、まずは聖霊様によって知恵と悟りが与えられるように祈りたいと思います。

まずは「しるし」という言葉が今日のキーワードの1つです。

エス様は、「この世ではヨナに与えられたしるし(3日間、魚の腹の中にいて救出された話)のほかは与えられない」とおっしゃり、その後、このヨナのしるしはイエス様ご自身によって実現されました(1日目:十字架にかかる、2日目:死んで墓に葬られる、3日目:復活する)。これこそが、福音の核となる神様の救いの業です。

ファリサイ派をはじめとするこの時代のイスラエルの民は、メシアであるイエス様を目の前にしても、その癒しの奇跡を見ても、たとえ話を聞いても、そして最後には復活し昇天したイエス様を見ても、その永遠の福音を信じることがありませんでした。最後までイエスをメシアとして受け入れることはありませんでした。それほど聖霊様が与える導きに対して、心が閉ざされていました。

彼らのこのような状態をイエス様は預言によって、もうこの時点で悟られていたのだと思います。それでもあきらめずに…イエス様は彼らの最後の裁きについて憐れみ深く、忍耐をもって2つの例をもってご説明されるのです。

まずはニネベの人々の例です。ニネベはアッシリア帝国の首都でその国は戦争とその残虐さで世界中から恐れられていました。そんな神の民からほど遠い国民も、ヨナが悔い改めを呼びかける預言を行ったとき、ニネベ市民だけでなく王やその家来までもが悔い改めたのです。聖霊様の声を素直に受け止めたのです。彼らは救われます。そして、最後の時には彼らは、なんと今イエス様の目の前にいるファリサイ派(神の民とされている)たちを裁くというのです。なんと驚くべき話であり預言です。

もう1つの例は南の女王の例です。このシェバの女王はソロモン王の知恵や真理を聞きたくて切望し、はるか地の果てからやって来たのです。彼女の国は、神の民の国であるイスラエルとは物理的にも非常に遠く離れていました。そんな彼女も救われたのですが、最後の時には彼女も今イエス様の目の前にいるファリサイ派たちを裁くのです。

ここまでのコントラスト(異邦人でも悟ったのに、なぜあなたたちイスラエルの教師は私の言うことがわからないのか?)をもって、イエス様は彼らにご説明されました。

また、ヨナやソロモンのように神の預言や言葉を直接神から与えられた者より、その人を通じて神を知り、信じるに導かれた人はよりまさる(Greater)とイエス様が言っていることにも注目します。ここに人々が行う伝道の価値を改めて見出すことができます。これがイエス様の定められた伝道の方法なのだと思います。直接働きかけるのではなく、人と聖霊様によって伝道を行うのです。そしてこの神様の福音が遠いアダムの時代からイスラエルの神の民を経て、教会の信徒に渡され、バトンのように今の私にも受け継がれており、神様はこれらの全ての働きをGreat!と言ってくださるのです。ここに大きな喜びがあります。

今日もたくさんの学び、気づきが与えられました。感謝します。

聖書の言葉はすべて見事に一貫しています。今日もこの聖書を信じて歩んでいきたいと思います。