Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~体のともし火は目~  [マタイ: 6:22-23] 

今年最初のデボーションのみことばです。

体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。

この御言葉も昔から知っていますが、今まですーっと読んでいただけでした。世間でも、「その人の内面は目に表れる」というコンセプトがあるので同じ意味かなと思っていました。しかし、よく吟味すると、イエス様からの厳しい、愛の忠告であることを改めて教えられました。

まず私たちの中に神様によって光が照らされる、というのがわかります。「あなたの中にある光」とは、自分の栄光の光ではなく、神様が照らしてくださる栄光の光なのです。次に、目が出てきますが、目は建物のガラス窓のようなものだと思いました。この目であるガラス窓が汚れもなく澄んでいれば中からの光はまぶしく外に投影されることになります。この状態は自分という器を通して神の栄光と恵みを他の人に顕すことができる状態、つまりイエス様の香りを放っている状態です。しかし、目が濁る=ガラス窓が曇っているとなると、中の光があまり外に投影されません。さらに悪いことには、光そのものがだんだん小さくなり殆ど消えてしまった場合、濁ったガラス窓から投影される光はほぼ無に等しいものとなります。「その暗さはどれほどであろう」とイエス様がおっしゃっている通りです。

主とともにクリスチャン生活を続けていけば、この御言葉の意味がよりよく理解できるのだと思います。私たちは毎日神様から十分すぎるほどの光を与えられている。しかし、時にその光・祝福を喜び悟らず、霊的な盲目状態に陥ることがあります。その状態が、目が曇っている状態。この時には、神様の祝福よりも、むしろ呪い(罪)を選んでしまう傾向があります。例えば神様が好まれない音楽や書物、会話、食べものを選択してしまう事などです。もし神様からの祝福を無視したような状態でこれを続けていくと、目は曇っていくどころか、最終的には神様から照らされる光も小さくなり、やがては消えるのです!

光である聖霊様の導きに従わないと、私たちの心は最終的に真っ暗になるのです。なんと恐ろしいことでしょう!いかに神様の光に沿って歩んでいかなければ危険であるかを改めて教えられます。特に目が曇っている状態が危険信号です。しかしそうなった時も神様は何度も何度も主の方を選ぶように忍耐強く語りかけてくださる方です。主の声を聞いていきたいです。

目が曇らないように、1日1日主にある良い選択をし、今日も主の祈り「私たちを誘惑に遭わせず、悪より救い出したまえ」を強く祈っていきたいと思います。