Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~ペテロ、信仰を言い表す②~ [マタイ 16:13-20]

今日は昨日の箇所の振り返りと続きになります。イエス様はペトロに

「あなたに天の国の鍵を授ける」

「これからあなたが地上でつなぐこと、解くことは、同じように天でもつながれ、解かれる」

とおっしゃいました。

この解釈として、「ペテロ本人が天の御国に入る権利があること、また与えられたかぎを通して権威がある事、また福音を伝える事キリスト者達に対しては御国を開き、不信者達に対しては閉じる手段となる」である事を学びました。

これからペトロや使徒たちはイエスの教会を築く礎として、宣教する教会を作り上げ、教会員を教え、導き、励まし、時には戒めるという権利と役割が与えられるということです。

しかし、このみ言葉の解釈、すなわち使徒たちの権威の範囲について注意をしなければならない点として、Seventh-day Adventist Bible Commentaryには以下のように記載されていました。

「キリストは、人が神の不満や怒りを受けずに罪を犯すことができるように、罪を赦したり、贖宥状を販売したりする教会の権利を与えませんでした。また、しもべたちに、非難を免れるために、罪を隠すための贈り物や賄賂を受け取る自由を与えませんでした。イエスは、すべての国の間でイエスの名によって罪の赦しを宣べ伝えるように弟子たちに命じました。しかし、彼ら自身はアダムの子供たちから罪の汚点を一つも取り除く権限を与えられていませんでした。罪を赦す力を与えられた者として、人々を自分に引き寄せようとする者は、神の怒りを受けます。天の赦し主から、弱い誤った人間に魂を向けさせるからです。」

このように、忘れてはならないのは、罪の赦しや除去を行う権限は教会には一切与えられていないということです。それが可能なのは神だけです。教会歴史を見ると昔からこのようなことが行われていて今も悲しいことに継続しています。私たちは「神によって罪を赦される」という事実である福音を宣べ伝えていくことこそが使命であり、その行為そのものを行うことは人間には許されておらず、神がすることであることを今一度心に留めなければなりません。

エスを「メシアであり、神の子です」と心から告白する人は教会を作り上げる弟子として日々イエス様を見つめながら祈り、成長し、そして宣教も行っていきます。そして忍耐しながら主の再臨も待ち望んでいます。私もこれからそのような者として変えられ、歩ませていただけますように。