Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~「種を蒔く人」のたとえの説明~ [マタイ 13:18-23]

今日の箇所も前回の話からの続きです。

エス様はまず群衆にたとえ話をされて、そのあとなぜたとえ話をされるのか、また今日はそのたとえ話の具体的な解説をされます。

青蓮寺湖

今日のイエス様の強調点は「御国の言葉を聞いて、そして悟れ」です。

このことができないと、実が全く育ちません、というものです。

キリストを信じるに至った人は、全て初めから「み言葉を聞きたい」と教会に来たのではありません。教会で行われるコンサートや讃美歌、リトリートやスモールグループでの交わり、英会話など、その動機は様々です。しかし、そういった活動の中でひとたびみ言葉を聞く機会が与えられたとき、必ず聖書の言葉や牧師のメッセージに対して悟りがあったはずです。今までの人生にはなかったような、強烈な悟りです。

長年求道者として教会に通い、牧師のメッセージを毎週聞いているけれども、まだイエスを主であると公に告白していない(バプテスマを受けていない)状態というのは、もしかするとこのたとえに出てくる石だらけか茨の覆った土地に種を蒔き続けている状態なのかもしれません。敬虔なミッションスクールに一貫で通っていて毎朝礼拝とメッセージを受けていても悟りが与えられない多くの学生なども、その状態にあてはまるかもしれません。

日本にはこれだけ多く御国の言葉を聞く機会があるのに、殆ど実が育っているように見えません。熱心な祈りとともに種まきをもっと活発にする必要性もありますが、その土地に原因があるのは確かです。

この土地を悪くしている原因、その改善策は何か?日々考えてしまいます。

世の終わりの時代でもあり、サタンの激しい攻撃があることは言うまでもありません。私たちの心に石ころを混ぜたり、茨を植え付けたりします。

良い土地には一人ひとりの、真理を求める純粋な心、魂(飢え渇き)が必要だと信じます。神に作られた人は、この心を誰でも持っているはずです。この心があれば、忍耐強く日々石ころや茨を取り除き、よい状態に保てるのです。

しかし人々は日々疲れ果て、自分の心の状態までも見失っています。そのような時代です。自分の心を自分で剪定できなくなっている状態。

やはり、結論としては…真理と祈りの力を知っている信仰者が彼らの心のために日々祈るのが一番の解決策と思います。

私も知らないところで沢山祈られて、ついに心で悟ることができたのだと思います。

今日も熱心に、良い土地がより多くこの日本に生み出されるよう祈っていきたいと思います。