Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

~家と土台~  [マタイ 7:24-29]

今日は「心の貧しい人は幸いである」の頭出しから続いたイエス様の山上の説教の、最後のエンディングの教えになります。

「私の言葉を聞いてそれを行うものはみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人だ」とおっしゃいました。その逆は「聞くだけで行わない者は砂地に家を建てた愚かな人」ということです。確かにずっしりとした岩の上に建てれば大雨や嵐が来ても簡単に流されることはありません。この岩の土台はイエス様を表していると思います。イエスの言葉を聞いて驚き、今までになく感動し、生き方の方向性が180度も変えられ、心にその言葉を刻まれた人は、自ずとそれを「行いたい」という主体性が生まれるのだと思います。逆にイエスの言葉を聞いても「何もしない、以前と変わっていない」ならば、その言葉はその人の心の方向性を変えていない、まだ生まれ変われ(新生)ていない、ということかもしれません。

この新生が急速に起こる人、また長い年月をかけて起こる人、本当に様々ですがそれは神様のタイミング、時があるのだと思います。バプテスマを受ける人はまずこの新生の体験、変化が起こった人です。本人にも天にも教会にも、大きな喜びがあります。しかし、クリスチャンになった後も、その人は日々イエス様に心をどんどん変えられ新生していきます。家の土台の岩をさらに大きく、頑丈にして信仰をゆるぎないものにしていく、というイメージでしょうか。そうしてだんだん「御心を行える者」に変えられてゆきます。私もまだ信仰のレース道半ばであり、日々変えて頂く必要のある者ですが、同じように信仰のレースを走っている仲間と毎朝祈ったり、御言葉で励ましあったり、互いの神様との関係で生まれた証を綴り、それを分かち合っていくことで確実に変えられてゆく、という実感があります。

エス様が言葉を語り終わると、「群衆はその教えに非常に驚いた」とあります。イエスを迫害したヘロデや十字架につけたピラトでさえもイエスの言葉を聞いたときに非常に驚き、他の教えとは違う、と感じ畏れたのです…!でもその教えを岩の上に建てることができませんでした。自己の岩、すなわち砂地に建ててしまったがゆえに、信仰をつかみ取ることが出来ませんでした。本当に悲しいことです。

今日もイエス様の言葉、光が差し込んだ全ての魂が、イエスという岩の上に自分の家を建てることが出来ますように。今日、1人1人の救いの日となりますように。