Latter Rain-日記

My Daily Devotion ~神様をもっと知り、神様との関係を日々深める~

祈るときには ~誘惑の力から守ってください~  [マタイ 6:13] 

この数日の主の祈りのデボーションを振り返ってみると、「主の祈り」は毎朝イエス様が天のお父様にかかさず捧げておられた祈りであったとますます思います。イエス様が弟子たちに「こう祈りなさい」と実例を示してくださったのですから、私たちは全くそれに倣って祈ることが理にかなっているし、またこの祈りには私たちに必要な日々の要素が全て含まれているのだと確信しています。ですから、今でも世界中の教会でこの祈りが礼拝の時に祈られているのです。もちろん礼拝の時だけでなく、毎朝まずこの主の祈りから始めたいです。

最後に「私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」という非常に重要な主の祈りについて考えてみたいと思います。「誘惑に遭わせず」は「Lead us not  into temptation」となっていて、この「into」により、「誘惑に陥り、結果的に罪を犯すことのないように」という解釈がしっくりくるかと思いました。さて、イエス様が受肉されてこの世に人間として来られた時、沢山の癒しや赦しが与えられました。それと当時にイエス様ほど悪の試みに遭われた方はこの人類の歴史上いなかったのではないでしょうか。イエス様の生涯は血みどろの道といわれる十字架の受難をはじめ、想像を絶するほどの試みの連続でありました。イエス様はこの試みをただ「神の御言葉」に信頼を置くことによって、父に対する信仰によって通り抜けられました。神の力を使えば、悪の勢力を即座に滅ぼすことは出来たはずです。ですからこのように耐え忍ばれた事は、私たちにとって必須であったため、あえて耐え忍ぶ道を選択されたのは、私たちがどのように試みに打ち勝てるかの模範を示すためだったのです。この模範がないと、私たちはサタンの試みに到底勝利することができないからです。

聖書では、「人間が罪から赦され、信仰により罪に勝利し、試練を通り抜け誘惑から心も体も守られることによって、またこれを日々繰り返すことによって、最後にはイエスに似たものとなり、完全なイエスの品性に近づくことが出来る」との教えがあります。これはまさしく神の奥義であり、神の目的です。人間という被造物が神の律法(十戒)とイエスの信仰に従うことによって、完全とされることを全宇宙に示すことが神の目的なのです。このように超俯瞰的に考えると、試みは私たち品性形成のための重要なプロセス、機会であることがはっきりと分かります。ですから、人間的な思いに立つと試みは本当に苦しいし避けたいけれども、神のご計画の側に立てば、究極的には、私たちの品性を練るための、神の御心なのです。試練や試みが感謝に変わるのです。このようなとてつもない希望がクリスチャンにはあるのです。これは人知を超える希望、とっても過言ではありません。

絶望を希望に変えてくださる主に今日も全てを信頼し、歩んでいくのみです。

 

「尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである」(Ⅱペテロ1:4)