今日はたった2節の短い箇所ですが、濃い内容でした。
イエス様は、前回から続くように天の国、霊的なこと、そしてこれから世に起こることをすべて「たとえ」を用いて群衆にお語りになり、「たとえを用いないでは何も語られなかった」と記されています。
この理由については「預言者を通じて言われていたことが実現するためであった」ということで、イエス様はこう述べられました。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
この、「預言者を通じて言われていたこと」とは、直接には詩篇78篇2章からの引用のようで、「わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう。」になります。
エゼキエル書(17:2-3)にも、「(エゼキエルに対して)人の子よ。イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語り、神である主はこう仰せられると言え。」とたとえで語りなさい、と神はエゼキエルに指示されています。
実際このエゼキエル書の箇所では、杉の木やぶどう、土地、商業地、大鷲、東風など、多くのたとえを用いてイスラエルの民に対し霊的なことや預言が説明されています。旧約の時代は神であるイエス様が預言者やダビデを通してこれらのたとえを語らせましたが、今回は直接イエス様が人間となってたとえを群衆に語っておられるだけで、語り手は全く同じであるため、当然同じ手法を用いたたとえ話でこの地上でもお語りになるわけです。
このことからも、イエス様がイスラエルの神、唯一の主であることを説明できる説得力のある1つの理由になるのだと思います。
もし偽物であったら、少しばかりちがう手法で群衆を説得していた可能性が高いです。
そういう意味で、旧約を含め生涯にわたり聖書通読を行っていくことの重要性を今日学ばせていただきました。
聖書デボーションをし、その研究を続けなければ今日よりもっとイエス様を知ることはできません。近道はないのだと改めて思いつつ、聖書により毎日新たなイエス様にお会いできることが、一番であり唯一の希望になっていることを感謝します。