今日は断食の話と絡め、婚礼やぶどう酒を革袋に入れる、というイエス様の色んなたとえ話が出てくる有名な箇所です。
バプテスマのヨハネやその他宗教家の弟子たちは、その信仰や悔い改めを表す手段として通常「断食」をするのが常でした。
しかし、イエス様の弟子たちは断食をしていませんでした。
その当時の常識では考えられないことでした。その理由を、イエス様に尋ねた場面です。
イエス様は、その解答として、以下のようなたとえ話をされました。
→は私の解釈です。
・花婿(イエス様)がいる間、婚礼の客(イエスの弟子)は悲しむことはできない
→イエス様がいる間は、天が地にあるような喜びの時。敢えて苦しい断食をする必要があるのか。
・織りたての新しい布(イエス様)を古い布(他の宗教家やその弟子)に継ぎ当てされても、古い布が破れるだけ
→イエス様のミニストリーは全く今までとは異質なものである。
・新しいぶどう酒(イエス様)を古い革袋(変えられていない心)に入れたらそれは漏れ出し、袋も破れることになる(新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるべき)
→イエス様を受け入れるには新たな器(変えられた心)が必要。今の生まれ変わっていない自分に入れても最終的には無駄となってしまう(イエス様の霊が入らない)。
このように書き出してみると、イエス様が具体的なものから霊的な心、という抽象的なものにまで及んで包括的に教えてくださっていることがよく分かりました。やはり天の国についての教えであることは間違いなさそうです。
イエス様の弟子になるとてつもない祝福も改めて感じました。
ただただ苦しい断食はもう心を替えられた者には必要ないのです。
もちろん、今もイエス様のご再臨を願って心を注いで、時には断食して祈る時が必要ですが、その断食には眩しい希望が満ち満ちているはずです。
今日もイエス様が教えてくださったことに感謝して一日を過ごしたいと思います。