今日の箇所は、前回考えた「腹を立ててはならない」と同じく、クリスチャンの罪に対する誘惑についてのイエス様のはげましの言葉だと思っています。世の中のドラマや映画では、必ず悪の存在が出てきて、それを正義などの善によって降伏させたり、裁いたり、解決したりする流れのものが本当に多いです。観ているほうも、すっきりとした気分になります。
私自身も、「相手が理不尽に突然攻撃してきたのだから、私の怒りや裁きは当然正当化されるものである」と思って長年生きていました。そのような私にとって、今日の聖句箇所「敵があなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」という驚くべき教えにショックを受けたことを覚えています。クリスチャンはただただ耐えるべき存在なのか?私の正義感はどうなるのか?その弱々しい姿を見て、さらに敵は苛立ちを覚え、攻撃を増し加えるのではないか?そのように思いました。
しかしここでイエス様は「しかし、私は言っておく(イエス様の強調の表現)。悪人に手向かってはならない」とおっしゃいます。このようにイエス様がおっしゃる理由は、相手の悪に対して反応してしまうと、結局相手の土俵で戦ってしまい、その相手に暴言を吐いたり激しい怒りを発したりする結果となり、それらの罪の性質をクリスチャンの器にあらわしてしまうからではないか?と考えます。そのことで、私たちがその罪の結果でさらに苦しんでしまうことをイエス様は懸念されているのではないでしょうか。
そう考えるとこの箇所は守るのはとてつもなく難しいですが、究極的には私たちのためであることがわかります。恐るべき罪の性質をあらわすよりは、肉体を含めた虐待を受けるほうがましだということなのかもしれません。時に、相手から特に残虐な言葉で傷つけられると私たちの霊や体は大きなダメージを受けます。しかし、神様の人知を超える力とお働きにより、私たちが信仰によりそのような攻撃に耐えると決心したその時、同時に私たちの霊と魂と体はしっかり守られるのだと思います。それがイエス様からのお約束であると確信します。
今日与えられたみことばの光と約束を今日もしっかり携えて歩んでいきたいと思います。